人は、人の全てを知りうるわけではない。
それは親子であってもそうだ。
自分の母親は、今95歳。
一見何の問題もなく、元気であって、本人もそう思っている。
ただ、85歳で心臓弁の手術を受け、そしてそれからほぼ10年を経て、
血液検査の示す数値は、心臓への負担の限界が近づきつつある事を、明らかに示している。
一番最近のデーターは 本来250以下の物が4400へと変わった。
ホーム直属の医師が、内服薬で調整をしてくれていて、3800が3500に落ちた物の、
今回悪化している。
年齢を考えれば、再手術して心臓弁置換術をしても、長期入院によるその後の、
母の人生は寝たきり、という結果の可能性が際限なく高い。
いや、年齢的に手術そのものができないであろう。
故に、その結果を知っていながら、何時逝くか判らない事を母に告げる事はできず、
しかしながら、長生きしてもらいたいという自分の思いが心の中で絡み合い、際限なく苦しいし、例えそれを母に話しても、 逆に母親を苦しませることになるのは明確。
きっと、再手術をうけないことは、此までの母親の言動や行動からも明白。
しかしながら、それをね、ごく近しい家族や身内、さらには友人などに告げても、泣いてくれる由縁は無く、比較的あっさりと流されて、時はまた普通に流れ出す。
どう答えればよいか? なんて、皆判るはずが無いからだ、それだけ難しい。
結果として、答えが出るなどあり得ず、
現実はそうしたもので有って、しかしながらそしてその最終は、常に息子である自分に委ねられている。
そういった物なのだ。
人は、皆自分のことで精一杯であり、誰かに助けを求めても、その助けを求める相手が持っている苦しみの全てを、知りうるわけでは無い。
自分で精一杯なのは誰しも同じで、結果としてそれはあっさりと受け流されいく。
又、此が現実。
思うに、身内の最後に関しては、特に親であるなら、最善の答えなどなく、そして誰かがそれをくれるわけではなく、
故に、息子としての、そのときのそして常々の、一つ一つの判断が、最後(臨終後)に自分の中に答えを出すであろう。
誰かが、もたらしてくれる物ではないからだ。
誰にも頼らず、自分で自分としての結論をだして、それを享受する以外には道は無く、同時に、母親にとって今できる一番の最上を、可能である限り提供する。 それだけでしかない。
人の人生の終わりにベストなど、どこにもないからだ。
最後を迎えた後で、自分として親に何ができたあろうか?その答えが自分にとって最善であったのなら。
親からして、最高の息子であったと、僕はそう思う。 いやそう思いたい。
結果の云々を、決して自分以外には求めない、でないと、自分以外の物は皆薄情者の烙印を、自分が簡単に押す事になるからだ。 それほど身勝手なことは無いだろう。
2年前に親父を看取り、そして今、いつ来るか判らない母の最後を、現実的に自分はどう受け止めるのだろうか・・・・
どうすべきであろうか?
それに関する答えは、上に書いたとおりに、どこにも無い。
増してや、自分の求める答えを、やはり上に書いたとおりに、他人がくれる物では無い。
その苦しさを自分以外に求めても、決して結論など出るはずも無く、であるなら、あるがままを息子としてやって、あるがままを受け止めるしか無いであろう。
あくまで、答えは自分で見つけるしか無いからだ
by 翔
DIGNITY(尊厳)
【MV】映画 沈黙の艦隊 主題歌 DIGNITY(Ado) 作詞:稲葉浩志(B’z) 作曲:松本孝弘(B’z)