平等主義
昭和初期において労働運動が国家権力の統制と衝突していく過程を、具体的な事件の中で体現する存在として記録に残った人物
何気なく、GPTに爺ちゃんの名前を入れて尋ねてみたところ、表示された各種の中に、
上記が含まれていた。
”歴史に残った”という言葉は、ある意味驚きでも有ったんだけど、上から下へと読み進めて行き、そしてもう少しGPTに追加質問を入れて、さらに表示された物は、ほぼ間違いなく爺ちゃんの人生の一部そのものであった。
野田醤油の労働争議。
近代化を進めている日本の、初めて労働者側からの蜂起による争議で、爺ちゃんはその構成の主要メンバーの一人。
最初に記しておきますが、爺ちゃん自身は、いわゆる共産主義者でもなく、社会主義者でもない、完全なる平等主義者で、それを最後まで貫いた人だった。
当時の日本は、労働者は経営側からすると単なる奴隷であり、ごく一部の物たちが大半の利益を貪り、肝心の現場で働いている人たちにはろくな給料も払われていなかった。
おりしも、当時は昭和金融恐慌のさなかで、あまりにも苦しい生活故、会社に対して不正を正す事と、最低の賃上げを要求したのが事の始まり。
ただ、それだけだったんですね。
ところが開始当時は、左翼思想等は全く無かったのが、後からそうしたくだらない思想を持つ者たちが次々に合流して来て、それが後に弾圧を受けることになった要因なのだけど、
後にも先にも爺ちゃんは完全なる平等主義者。
なのに、一方的に張られたレッテルは争議後の長い人生に暗い影を落とし、行く先々で繰り返される嫌がらせと解雇でかなり苦しんだ。。
やがて世界大戦が始まり、警察の要注意人物記録があるが故に、兵隊への収集というのはなかったのは、別の意味で運が良いともいえる。
爺ちゃんは茨城県の守谷市(高野村)の生まれで、大きな家の長男として誕生。
当時の、日銀トップが頭を下げる程、力の有る親の元で普通に育っていたのだけど、母親が亡くなり、継母の度重なる嫌がらせを受け、ついに家出。
野田醤油に務め、やがて金融恐慌が勃発。
まだ独身だったということも有るけど、首謀者として経営側が雇ったヤクザの標的にされていた。
故に、常にさらしを巻き、短刀を持ち歩いていたと爺ちゃんから当時の話を聞いた母は言っていた。
職を転々として、貧乏生活を続け、やがて東京都の某区で生活を始めて、そこで親父が生まれて、やがて僕が生まれたわけだ。
ちなみに、会社側に残る資料から、かなり危険視された理由として、次の点が揚げられている。
古参で優秀な技能を持つ工員であり、同僚への影響力が強く、表立って暴れないが、話を通す人物として、
会社側からは最も排除しづらく、最も怖い存在として認識。 とか・・・。
そんな歴史のある爺ちゃんだけど、僕の記憶に残る姿は、優しくて、決して叱る事がなく、いつも僕の話を黙って聞いてくれた、そんな穏やかな記憶しか無い。
そして僕が米国に絡んだ仕事をし始めたときに、最も喜んでくれたのが爺ちゃんでも有る。
ちなみに、爺ちゃんの口からマルクスだレーニンだ、毛沢東がどうとか、そういった類いの”歴史的な精神病者”の話や左翼思想に関して一度たりとも出た事は無く、人権なんて言葉も当然口にするはずもなく、ただ、一つだけ言えるのは最初から最後まで、完全なる平等主義で有ったと言うこと。
当然、エリート気取りの学生運動家や、口先左翼(リベラル)、人権派みたいなくだらない思想で汚染された人間でも無い。
今の自分と、爺ちゃんを比較すると、いろいろな面で、本当にダメダメだな~とか思うんだけど、そんなことをボソボソと考えている僕を、きっと天国で笑ってみているだろうな・・・
なんて思う翔です。